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バリュー投資10年間を振り返って



1995-2005年 日経平均


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恩師との出会い



10年位前に高校の先生に授業でバリュー投資の基礎となる概念、すなわちPBRに着目しろという考えを私は教わった。

社会の先生だったのだが教科書の授業を教えるよりも、株の素晴らしさを訴える事に熱心な一風変わった先生であった。いわば彼は私の投資におけるメンター(師)である。





社会の授業



株の素晴らしさ



学期末に行われるテストも変わっていた。暗記授業を一切廃し、歴史の背景にある考え方を読み解く事を要求するようなテストを行った。いわば答えなき、問題ばかりを出題したのである。

今にして思えば非常にクリティカルな思考を鍛えさせようとしていたのである。

先生の資産は株式市場によって築かれた。バブル時代で8000万円、崩壊後で3000万円、退職前のサラリーマンにしては十分な額である。今では一億円を達成している事だろう。


いかに株式市場は素晴らしいのか、情熱を持って株式市場の素晴らしさを訴えたが、まともにそれを受け止めたのは私だけだった。

先生の資産額が3000万円という事を聞いた私は、

「バブル崩壊で資産が半減したとはいえ、普通ではサラリーマンが3000万円というお金を掴む事はできない。これはとんでもない話をしている」

と本能的に察した



他の皆は話を全く聞いていなかった。

教室には、非常に勉強熱心な優等生もいたが、テストに関係のない株の話には興味がない様子だった。先生の話は悲しくも無視された。



「お前ら、この先生の話に、どれだけ価値があるか全くわかっとらんな」と思っていた


そして、学校の授業の一環として自由研究の時間があった。

私は迷わず「株式市場について」というテーマを選択した。他の皆は、授業に関連のあるテーマを選択していた。

当時四季報を読んだり日経を読んだりしていろいろ調べたと思う。

今の状況から見て信じられないかもしれないが、当時一般にファンダメンタル分析というのは景気の予測であり材料投資という短期投資しかなかった。

本来のビジネスという視点、つまりバリュー投資の概念は全く存在していなかった。バリュー投資の基礎概念を教えてくれたのは、社会科の先生だけである。


不思議なのは、同じ授業を受けた同級生達である。これほど有益な教育を与えられながら何一つ得ていない。先生の話をきちんと聞けば人生は大きく変わったであろうに。

学校で学ぶ事は価値がないと思い込んでいる。典型的な情報の軽視である。





場違いの小僧



恩師から様々な教えを学び、ついに私は、株式投資を開始する決意をした。

アルバイトで稼いだわずかばかりの金。汗水垂らして稼いだ3万円を握り締め

いよいよ大和證券の店舗に足を踏み入れた


写真はイメージです



大和證券の建物は巨大な建造物だった。



当時の私は圧倒された。ありえないくらい天井が高いかった。大理石のような柱とフロア。艶々と黒光りした革張りの椅子



そこで、スーツを着た老人達が日経新聞と株価ボードを眺め高級感が漂う。

「なんでお前みたいな底辺の若造がこんな場所にいるんだ?」という視線を感じた







私は、震える手と足をなんとか押さえ、勇気を持って窓口のお姉さんに話しかけた。

たった3万円ばかりの金を持って口座を開設を依頼した。口座開設書類の名前を書く所で指先が震えてなかなか書けなかった。



そして、3万円という限られた予算。

勇気を振り絞っていざミニ株を店頭のお姉さんに対面取引で注文しようとしたその時だ!



隣の席に座ったスーツ姿の中年客の声が勢いよく聞こえてきた・・・・・



「新日鉄を成り行きで2000万円分買ってくれ!」



その時私は、とんでもない世界に足を踏み入れたと思った。これはレベルが違いすぎる・・・・・


私は、うろたえた

「こいつらは、俺の住んで来た世界の住人ではない!」



と思った。私の目の前には、歴然たる上流社会があるのだ。今までの人生では決して交わる事のなかった世界である。社会のエリート達の社交場の中に、金も持たないまぬけな小僧が場違いで飛び込んできたのである。


しかし、それでもめげるわけにはいかなかった。私にはお金は無かったが、若さがある。この経験が必ず生きてくると思った。




こうして私は投資家としての道を歩み始める事となった。この一歩はとても小さなものに見えるが、今にして思えばとてつもなく大きい行動である。


私の人生はこの小さな一歩により大きく変わる事となる。

この行動が私の落ちこぼれ人生の流れを大きく変えた。










旅立ち



投資家の卵としての人生を歩み始めた私は、調べ物をする際にウェブサイトを色々見て回った。しかしバリュー投資に関する情報は皆無だった。当時の一般認識では、ファンダメンタル分析というのは材料投資であり景気予測で株価を当てるというものだった。

どこかのアナリストのページに、日産火災の含み資産に着目するという記事を一度目にした程度だ。残念ながら日産火災の株価はずーっと不調だった。

待てども待てども株価は上がらなかった。それどころか、株価はズルズルと落ちていった。私は含み資産に着目する方針は捨て、収益に着目する投資手法に切り替えた。



最初は長期投資のつもりが我慢しきれず、含み損をかかえて数ヶ月で売ってしまった。


「こんな美味しい株はない!」と買うときは興奮し、輝かしい未来を想像して買う。結局ずるずると値下がりして辛抱しきれず、あまりの退屈さに売ってしまう。これを懲りもせず何度か繰り返した。


そして半年後に売却した株が暴騰するというパターンが2度ほどあり、これを境に長期投資である「バイアンド放置」という投資スタイルに切り替えた。


業績の良い割安な株を買って、あとは放置しておくだけである。株価も見ない、ニュースも見ない。世間が騒ごうがひたすら無視。


そうすると覚悟を決めた。


当時の市況は、バブル崩壊に伴う続落続き。マーケットをいちいち見ていたら精神が持たなかっただろう。毎日下落、下落、下落・・・・・・・




そんな下落相場の中
バイアンド放置というスタイルは、成功する事となる。




衝撃の出会い





その間にウォーレン・バフェットとピーター・リンチに関する本に出会った。この2冊の本を読んだ時に


ガツンと衝撃を受けた


人生で最高の2冊に出会った、今でもこれほどの感銘を受ける本はないだろう、何度読んだ事か。この2冊の本には他の本にはない比類なき知性がある。

「俺も世界一の金持ちになってやる!」と途方もない事を真剣に思った。今にして思えばこれが青春だったのかもしれない。


しかしそれだけ途方もない

大きな夢を持たせるだけの中身のある本なのだ。これは単なる熱狂ではなく、本物に触れた熱狂である。

ピーター・リンチから学べる事。それは非効率を徹底して突こうとする姿勢と着眼点


バフェットから学べる事。それは天才的な思考体系
そして理論で金持ちになる現実のモデル



その後、市の図書検索サービスで、たしか30年ほど前に出版された「賢明なる投資家」というバフェットの師が書いた絶版書が遠くの女子大にある事を知った。





真夏の暑い日電車に乗りバスを乗り継ぎ、そして田舎の女子大まで足を運んだ。











そこで私は、ベンジャミングレアムの書に初めて出会った。



彼の概念はバフェットの本を読んでいたので概ね分かったが、やはり小難しいものだった。

30年も前に日本に知識は輸入されているのになぜに受け入れられなかったか分かった気がした。



後付で解釈すると1970年代までには日本にもバリュー投資家的な人はそれなりにいたようである。

その後の日本特有の株式持ち合いにより、株価は理論値を乖離してむやみやたらの高値を保ち続けるようになってしまった。そういう事が20年以上も続いたためバリュー投資は死滅してしまったようだ。



だからこれだけは、言える。


今後、これからある程度の高値水準に達するまではバリュー投資家は増え続けるだろう。


私はパーティーに参加するのが早すぎたようだ。そこには誰もいなかった。

しかしこれからは違う。新規の市場参加者はバリュー投資を身につけどんどん参加してくるだろう。まだまだメジャーな投資法ではないがそれに迫る勢いがある。

村上ファンドや一部の方はお世話になったであろう某有名投資家のように行動する投資家がどんどん増えてくる、理論値だけでなく実際に価値に連動するようになるベく社会の歯車は動き出してきている。

バリューを向上させるべく、企業側も歯車が回り始めるであろう。











今から30年前に書かれた、邱永漢「株の発想」を読んでいて、面白い事が書いてあった。

古いからこそ新鮮に感じた。

邱永漢は見た目怪しいおっさんなのだが、言う事にはある程度筋が通っている。



この本でピンピンときたのは成長株の定義とその当時の日本の状況。


「資本利益率が100%や150%でないと成長株ではない」と言っている



凄まじい高度成長を実感させられる言葉だ。ほんと電気で痺れた。

今の日本企業はROEが2%〜5%が平均なのだと思うが、当時はやはり凄まじかったのだ。

バブルの頃株式投資ならびに企業の投資効率がいかに馬鹿くさいものかよくわかる。



ちなみにこの当時成長企業のSONYはROEが120%を叩き出し現在は3%程度のROEである。

松下電器は150%の資本利益率という数字を出し、さらにそれを維持し松下幸之助は経営の神様と呼ばれた。

しかし今は赤字である







ピーターリンチの本に書いてあった通りの出来事





余談だが、私はITバブルに巻き込まれなかった。
なぜなら割高すぎて興味がわかなかった。親戚のおじさんはソフトバンクに熱狂していた。株を薦められたが買わないでいるとすぐに3倍になった。






ITだとか、ブロードバンド、ベンチャー、e-コマース、ビジネスモデル特許

次々に「新しい標語」が誕生していた。これらの言葉はトレンドであり、口にする事はかっこいい事だった。



ピーターリンチの本に書いてある高株価の錬金術をそのまま行なう流れに驚いた。なぜに何十年も前からの手法にみんな騙されるのかと。



不思議で不思議で仕方がなかった。


その当時の割安株はITバブルとは無縁だったので、私は気にせず放置してニュースも見ないでいたら知らない間にITバブルは終わっていた。


それはそれでよかったが、その後のバブル崩壊の安値にも気がつかなかった。

株価を気にしないでいる事は大事だが、あまりにも放置するのも問題だとその時に学んだ。






そして2003年ごろの暴落でこれはチャンスと思った。ネットを見渡してみるとバリュー投資家がちらほらと現れ始めている。彼らと議論し交流する事により飛躍的に知識は高まったと思う。


季節外れで参加した私とは別にタイミングをはかり参加してきた彼らは当然というべきか社会のエリート層が多かった。

東大卒、医師、会計士、国家公務員、ファンドマネージャーなどなど普段の生活では到底出会えないような上流の人たちが多くいるのに驚かされた。

彼らエリートは、論理的な思考から導かれた当然の答えとしてバリュー投資を行なったのだろう



大切なのは合理性と肝


しかしながら、いっておくが投資にIQはあまり関係ない。

ひょっとしたら私のIQは100ないかもしれないが、それでも満足できるパフォーマンスを残せた。

バフェットも言っているが大切なのはIQでなく合理性である。ピーターリンチは肝だと言っていたが、論理性だけあっても肝っ玉がなければ結果は残せない。

ボトルネックが合理性とそれを実行する肝っ玉にあるという事だ



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