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バリュー消費入門

多くの金持ちが共有する概念「バリュー消費」


バリュー投資と対を成すバリュー消費という考えがある。これは私が名づけた造語である。
バリュー投資とは価値あるものを価値以下で購入するという手法だが、これをそっくり消費活動に当てはめようという考えである。

バリュー消費は、ケチとなにが違うのか?という疑問があるかもしれない。

お答えすると、効率の悪い消費は一切しないという事だ。従って効率さえよければ湯水のごとく金を使う。そこがケチとは全く次元が違うのである。

バリュー消費を身につけると、豊かなのにガンガンお金が溜まっていく。ラットレースの人生は急激に変化し、投資家という人生を歩む大きな前進となる。















私は友人であるZ3氏に株式投資の方法とバリュー消費の考え方を教えた。
その結果、現在27歳にして2000万円を越す資産をつくり上げた。
それ以前の彼は、貯蓄額は100万円程度のごく普通の若者だった。それまでの彼は給料の大半を車に使っていた。

適切なアドバイスをする事により、資産形成のサイクルを変えた結果。

100万円という貯蓄額が、わずか3年で2000万円までに増えた投資の複利と給料からくる蓄財の競演である結果は魔法である若干27歳にして2000万円という普通では考えられない結果が起こるということだ

今後さらに彼の資産は加速度的に増えていくだろう彼は金持ちという道を選択した





もう一人、私の友人であるA氏にも株式投資を教えようと試みたこんなに素晴らしい投資の世界を、親友に伝えずにはいられなかったしかし彼は私のアドバイスに興味を示さなかった

お金に興味がなかったかもしれないし、株は危険なものと思っていたのかもしれない彼は今でも月給15万円という工場勤めをしている貯蓄のほとんどは車のローンに消えていく生活のままである







以上は、本当の話である。友人を馬鹿にしたかったから話を持ち出したのではない。事の教訓を伝えたいのだ。

選択したか選択しなかったかで、人生は不当なまでに差がつけられる

頑張ったか、頑張らなかったかではとても説明のつく事態ではない友人の2人は実に恐ろしい教訓を残した



考える実験


仮に相場で1億円を儲けたとする。

その全財産で買い物しようと思いつく。
全額その日に1台1億円という超最新鋭のワークステーション(高性能コンピューター)を買ったとする。

コンピューターの進歩は凄まじく、価格は物凄い勢いで低下していく。一年後には同程度の性能を持ったワークステーションが数百万円〜数十万円で手に入るだろう。特殊な業務用に使うならともかく趣味に使う分には値段が高すぎる。

このような極端な事例では一億円をどぶに捨てるように、無駄にしたわけである。
稼いだのと稼がなかったのと大差がない。相場で儲かって一時嬉しい驚きがあっただけだ。
幸福を買うには、あまりにも高くつきすぎである。











売れない商品の値段の桁を一桁上げたら売れた!という嘘みたいな本当の例もある。こんな事が現実世界では頻繁に起こっている。そう頻繁に起こっている。値札なんて全く持って信用できないのだ!



消費者からすれば信じられない話かもしれない。
しかし、立場を変えてみよう。
売り手の立場から考えてみる。商品の値札には、0を一個足しても良いし、逆に引いてもいいわけだ。




買う側は安ければ価値が低いと思う。


「輸入品?」




同じ商品の価格の最終桁の0が1つ増えていればそれは非常に価値がある物と勝手に思い込んでくれる。



「高級国産品?料亭で使う大根なのかな?」








3つで30円の卵


「スーパーに並んでいる、安物なんですね」




1つ300円の卵


「凄く品質がよさそう!期待できる。最高級の地鶏を使ってるんだなぁ」







高い物はいい物だといういままでの体験が、それを価値あるものと錯覚してしまったからだ。賢い売り手はこの心理をかっこいいブランディング戦略と結びつけて実行してくる。消費者はそれを価値あるものとして認める。



値付けとは極めて恐ろしいものである!こんな値付けをする連中に振り回されていては、あなたはますます貧乏になり、カモになるだけである。


そしてこういうビジネスは自覚があるなしに関わらず、非常に横行している。なぜならば皆価値を調べようとしないからだ!皆価値を調べようともしないなら、好き勝手に値段を付けた連中が儲かるという事である。価値を調べるにも人の意見を聞く、テレビのスイッチを入れる。それは広告なのである。その広告はあなたにこう告げる。

「非常に価値があります。これは大変お買い得です。高品質です。100年の伝統です。ヨーロッパからやってきました」

私は何も高いものは買ってはいけないなんていうつもりは、全くない。「ただし効用を考えてみましょう」という事である。



効用の意味がお分かり頂けただろうか?つまり、「お金の価値とは使い道で決まる!」という事だ。




「そういうお前のサイトでは、投資情報を売っているが0を一個付け足したのか?」という疑問を持たれた方にお答えしましょう。その通りそうかもしれない。


情報とは複製が可能で、売値は1円でもいい。しかし本来の投資リターンを考えれば収益還元法で計算すれば、一億円で販売してもおかしくない。

つまり現在販売されている情報は、十分に元が取れるという事である。有益な情報の価値を低く評価しないで頂きたい。

勝手な値付けと本来の価値は無関係である。我々は真剣に効用を考えなければならない。




さあ貴方は今、お金になる考え方を手に入れて富の道を突き進んでいる。もう少し頑張ってみよう!








では価値とはなんなのか?


自動車をネタに、私たちの自動車に対する価値について分解して考えてみよう!







  ・イメージ
  ・デザイン
  ・思い出や体験に関わるもの





  ・使い勝手
  ・安全性
  ・社会的ステータス
  ・売却した時の換金性




次に自動車の価値というものを分解してみよう

1. デザイン
2. 機能性
3. 性能
3. 安全性
4. ステータスシンボル

という風に分解できるだろう。仮にBMWが800万円するとして

価値を分解するとどうなるのだろうか?主観(感情)が入る所なので価格付けは難しいが乱暴ではあるが私の価格の振り分けを見て頂きたい







という所であろう、一方私が求めているのは移動としての手段のなので




の100万円しか出せないとなる

となると後の700万円は付加価値という事である、この700万円の付加価値を感じるかどうかは人によって異なり、口を挟む事ではないが自動車としての

本来の移動手段としての本質的価値は100万円

という事がおわかりいただけたであろうか?残りの700万円の付加価値であるが、それに価値を感じるかどうかが大事だ。

あなたは自分の好みに対して700万円使えるだろうか?その700万円貯めるためにはどれだけ労働をしなければならないのだろうか?貴方の年収は、そのまま自由に使えるわけではない。生活費が差し引かれるのだ。

つまり、付加価値に価値を認めていては、よほどの高給取りでなければ、貯蓄は出来ないはずだ。



バリュー消費とは





商品の価値をよく吟味するという事である。



その昔
自動車は今の価格で言うと数千万円の時代があった。

現在では
その頃よりもはるかに高性能で、安全性が高い車が中古屋で10万円で叩き売られている。




50年前当時 自動車


現在の5年落ちカローラ


価格

現在価格で数千万円に相当

価格

中古屋で叩き売られている
10万円〜50万円
性能

すぐに壊れる・安全性がない・環境に厳しい・燃費も悪い・うるさい・振動が激しい

性能

高品質で壊れない・快適スムーズ
環境に優しい。安全


今の基準で考えれば、こんな物は売ってるんですか?製造物責任法に反するんじゃないですか?

乗っても安全なんですか?
昔で考えるなら実現不可能な技術を盛り込んだ超高性能な憧れの夢のマシン、奇跡のマシン。

どうやってこの車を実現したのですか?






いったい全体この差はなんなのか!?


中古だから安いって?それだけでこの差はでないでしょう。

当時の中古車も相当高値だった。


真っ当な理由として、経済学者が言うように「需要と供給の結果です」といってしまえばお終いだが、そんなものには惑わされてはいけない。「需要と供給」なんぞで貴方の大切な人生が決められるなんて馬鹿らしすぎる!!

私は、このようなお茶を濁したような言葉には我慢がならない。


もっと突詰めて考えてみよう。

そもそも物の価格を比較する事で、価値付けをするという行為は極めて危険であると指摘しておく。相場に騙されず自らの価値観で価格を判断しそれよりも安ければ買うという行為を繰り返せば賢い消費者になれる。

なにも、高級品を買ってはいけないと言っているのではない。私だって高級車は欲しいし、無駄の極みハーレーダビットソンを買おうか悩んでいる。

ただし、注意して欲しいのは、一般的に私達は付加価値に金を払いすぎる傾向があるという事だ



散々叩いたBMWだが、ここの会社のバイクが欲しい
1942年製。実用性ゼロ



これから挑発的な事を書くがあなたの人生を思って書くので許して欲しい。収入が低いにもかかわらず付加価値を認めすぎると自分の人生を安売りしている事にほかならない。

もし仮にあなたが安月給でブランド品に囲まれているのならばあなたの人生はそんなに安いものなのか?という怒りを感じてしまう。なぜならばそのお金は貴方の労働時間を切り売りして得た金ではないか?楽に稼いだ金か?人生を切り売りしてボッタくられてどうする!


かつての私はブランドの価値に憧れそれを求めていた、よってこれは過去の自分へのアドバイスでもある。お金の使い道はとても良く考えて欲しい。高いものに必ずしも価値があるわけではない。ボッタクリで不当な利益をあげるものが多い。そんなものに騙されず豊かで家族を守れる資産を築いて欲しいと願うばかりである



さて次は実践編である、「バリュー消費を実践して富を得る」をどうぞ






このようなバリュー消費の考えを、ある掲示板に投稿した。しかし、それは設計主義だと批判された。

まさしくその通りなのかもしれない。しかし、幸福になるにはある程度の共通項がある。
ドストエフスキーが言っている。
「幸福な人たちはみんな似通っていて、不幸な人たちは人それぞれ色々な種類がある」

有り金全部、酒につぎ込む。馬券に全てを注ぎ込む。PCを毎月のように買い換える。キャバクラ三昧。趣味のコレクションに、生活が破綻するまで全てを注ぎ込む。サラ金生活・・・・・・・。経済学ではこれを多様性と説明する。


個人的な生活基盤というのは、ある程度の決まった土台と道筋を元に固められるのであり、経済効率性を無視して、いきなり多様性を求めても失敗するだけだ。

マクロ視点から見て社会全般としては、そのような消費行動の多様性があったほうが全体としてのメリットが大きい。何故ならば多様性は革新をもたらし、長期的に全体にメリットをもたらすからだ。99の失敗に1の成功。これだけで社会は大きく前進できる。生物学の進化の法則である。
しかしそれは膨大な99の失敗を背景としている。そして、おびただしい不幸を背景にしている。

しかしミクロ(あなた自身の立場)で個人の幸福最大化という視点において、メリットは小さい。何もあなたが社会の実験台になる必要などないのである。

このような消費行動の多様性を求めるには、十分に食っていけるだけの基礎を作ってから好きなだけ、行えばよいのである。サラ金やローンで尻に火が付きながら酔狂を行うのは、代償があまりにも大きすぎる。





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